夕食会

穏やかな昨日とはうって変わって今日は激しめの月曜日。仕事も朝から押せ押せ。夜も12時半まで夕食会、そしてその後職場に戻り、自宅に帰れば既に2時。でも眠くない。それは今日の夕食会での話が強烈だったから。


今日の夕食会の相手は、ボリビアのとある省庁の次官2名、そしてその他関係者。次官の一人は私がしばしば仕事上絡む相手で、エレガントかつ知的な女性。おしゃれだし、憧れにも似た感情を抱くような存在。もう一人の次官は初めて直接お会いした人で、イメージは穏やかなおじいちゃん。夕食会も2時間を過ぎて、彼らは25年以上前からの知り合いであることを話し始めた。同じ政治的思想(左翼革命運動:MIRに所属)を持ち、それが故に迫害され、ボリビアを永く離れざるを得なかったこと。亡命先での活動の話。話はつきない。


話は直接的な表現をしばしば避けてはいたけど、多分2人は命の危険を感じるような、多くの修羅場を潜り抜けてきたはず。拷問を受けた経験もあるかもしれない。チリのピノチェト元大統領の話ではないけど、ここボリビアでも類似の状況が存在していた。それが過去の歴史上の話のような気がしていたのけど、身近でそういう経験を持つ人がいるとは。。


まるでそんな過去を全く想像させない2人の次官。そんじょそこらの人とは腹の据わり方が違うことは確か。そんな人々がこのモラレス政権には多く参加している。


「一時期はボリビアへは二度と戻らない、ボリビアという国を憎んでいた」との彼女のコメント。そんな彼女は今最も重要な次官の一人としてボリビアに尽くしている。彼女の心に何が起こったのだろう。


【ちょっと参考】
 1980年9月18日、軍事クーデターを経てガルシア・メサが大統領に就任。麻薬業者との癒着による「腐敗政治」がここに開始する。
 1981年1月15日、特別治安部隊(SES)は左翼革命運動(MIR)の青年活動家9名を拷問のすえ虐殺.この他にも500名が殺害され,1,500名が亡命を余儀無くされる。また、この他にも多数が国内追放(レジデンシアード)されるなど反対勢力は総崩れとなる。両次官はこのMIRに所属していた。
 なお、同年 エボ・モラレスコチャバンバ県チャパレ地方「サン・フランシスコ」農業組合で農民活動を開始している。